例の推し活のnoteの考え方がよく分かる

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管理人はこういう物の考え方をしていた。長すぎて読み返すのがめんどくさいけど文章の構築の仕方や他人に対する感情の起こり方、そこから導き出される思考回路は本当によく分かる。

 

他にもリプライやDMで慰めてくださる方が数人いた。その一方、
「そんなツイートは不快だからやめろ。ファンにも本人にも見えないところで書け!笑いのツボは人それぞれだ!面白くないこともあるだろう。わざわざ言うな!」という意見も来た。
僕は、思ったことは言わずにはいられない。
自分みたいな感想を持ったファンは他にいないのか?
今日のライブ全然面白くなかったの、俺だけ???と不安になってしまう。
だから、ファンにも本人にも見えるTwitterで呟いたのだ。
ラニーノーズを知りもしない知人に「全然ライブ面白くなかった~」と伝えても、慰めてはくれるかもしれないが、そのライブが本当に面白くなかったのか、僕に笑いのセンスがないだけで本当はめちゃくちゃ面白いライブだったのかどうかはわからないのだ。
実際、ファンでも面白くないと思うネタが結構あったりするということがわかったので、僕はツイートして良かったと思っている。
そして、僕を否定する人はよく「笑いのツボは人それぞれ」と言う。それならば、「面白くなかった」という意見があっても、それも受け入れるべきではないか。だって、「笑いのツボは人それぞれ」なのだから。なぜそういう意見は言ってはダメなのか。
「面白くなかった」というのは、「僕は面白くなかった」と意見を表明しているだけで、「面白くないから皆ラニーノーズなんて見るな!」と言っているわけではない。「僕は面白くなかったんですけど、皆さんはそうではないですか?面白くなかったという人は、少なくともここに一人いますよ」と伝えているにすぎないのである。「面白い」「面白くない」というのは明確に決まるものではないのだから、僕が「これは面白くない」と言ったならば、それはそれを言った僕の意見に過ぎないことは、いちいち「これは個人の意見で、他の人は違うかもしれないけれど…」と書かなくてもわかるはずである。「押し付けるな」などという人もいたが、僕は自分の感想を述べているだけで、押し付けているわけではない。

 

この考え方はすごくよく分かる。他人と自分の認知を知りたくて仕方がない。自分はこう思う、では他の人はどうなのか?他人はAという事象をどう捉えているのか? これが気になって仕方がない。面白くないとツイートするなという意見は不快な気持ちになるからなんだろうが、そこをスルーしてAならばBではないか、と言葉選びや文章構成の方に着目して反論を練る。他人が本当に言いたいことを無視してしまう、分からない。だから他人から見れば無神経な人間に見える。これ分かる人、僅少ながらいると思う。

私の間違いは何だったか?というnoteをあげていたが、タイトルから大いに共感できるし、文章の構築と思考回路はやはり理解できる。論理的なのであまり感情が表に出ていないように見えるがあんなに批判されたり推しにブロックされたりしたのだったら、外野が思う何倍も相当に悩んでいたと思う(悩むというか考え続ける)1人で考え続けるという自己分析が悪い方にいってしまうには充分。こういうタイプは考え続けても思うような結論にたどり着くことはほぼ無理だと思う。人と関わるか優しい人に教えてもらうかのどちらかをすることで飛躍的に人間力が上がるタイプ。内省的に俯瞰的になりすぎて完全に論理的思考になっている。1人でいるとまずいい方へはいかないので今回の件があって結果的に良かったのでは。

このnoteを怖い、正当化という人が多かったので少し謎。少なくとも管理人はこのnoteの気持ちが分かる。正当化ではなく考え続けている、の方が個人的にしっくりくる。ただ考え続けているだけ。自分の書いたことが伝わっていないという文を見て悲しくなった。分からない人には一生分からないのだと思う。